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張り紙アパート

これは私が大学生だった頃の話です。
私が通っていた大学のある街には、「張り紙アパート」と呼ばれる奇妙なアパートがありました。
一見はなんてことない普通のアパートなのですが、1階の部屋の道路に面した大きな窓がとても不気味でした。
そのアパートは2階建てになっており、各階に5部屋ずつあるのですが、なぜか1階だけ全ての窓が内側から隙間なく張り紙がされていたんです。
まるで中を見られるのを遮るかのように・・・
張り紙も新聞紙やチラシのようなものからアイドルやアニメのポスターだったりと、部屋によってまちまちでした。

ある日、そのアパートの1階の1部屋が空室になったことを聞きました。
私の友達にBさんという男友達がいます。
そのBさんは、最近彼女が出来たらしく部屋に彼女を呼びたいとのことで、学生寮を出たがっていました。
そこでその部屋の話をすると、家賃が安いなら借りてもいいという話になり、Bさんは張り紙アパートの一室を借りることになりました。
借りる前に部屋の噂を聞き調べましたが、アパートのことを知っている人はたくさんいましたが、事件があったという事実や曰く付きだという話は一切出てきません。
Bさんは、不動産会社や大家さんに話を聞いて見たようですが、事件・事故・幽霊が出るなどの話は聞いてはいないとのことでした。
張り紙についても首をひねるばかりで、住民からは何も言われたことがないとのことでした。
大家さんが言うには、古いアパートなので防寒対策や結露対策、西日対策じゃないのかとのことです。
実際、内見の際にも押入れの中は湿気のせいかカビのようなシミがあったし、それについては古いアパートなので仕方がない、そのぶん家賃を安くするという話が出た程度でした。

家賃が手頃なこともあり、Bさんはその部屋を契約することになりました。
Bさんが引越しをすることになったので、手伝いとして私とCさんとDさんが駆り出されました。
私は窓をどうするか考えたのですが、無難にカーテンをつけることにしました。
あらかた部屋も片付き、手伝いのお礼にご飯をおごるという流れになっていたのですが、せっかくだしBさんの部屋で鍋をしながら飲むことになりました。
日が変わる頃には、肉体労働の疲れと酒の力で4人ともいい感じに出来上がって、帰るのが面倒になりこのままBさんの部屋に泊まることになりました。
とりあえずテーブルを片付け、私たち4人は畳の上に横になりました。

何時間くらい経ったでしょうか・・・
私はふいに背中を誰かに触られた気がして目を覚ましました。
酔っているので寝ぼけた顔でぼーっとしていると、またさわさわっと何かが背中に擦れたような気がしたんです。
反射的に振り返ると、後ろのカーテンが揺れていました。
私は窓側に寝ていたので、風か何かでカーテンが動いてそれが背中に当たったんです。
なんだカーテンか・・・
そう思い安心して私はまた横になりました。

でもそれがおかしいことに気づいたんです。
季節は秋なので窓は閉めていて、エアコンや扇風機の類はつけていません。
なぜカーテンが揺れたんだ?
色々考えているとまた再びカーテンが背中を触りました。
私は気味が悪くて声を出して飛び起きてしまったんです。
慌てて電気をつけると、時間は午前1時を過ぎた頃でした。
他の3人もなんだなんだと起き出してきました。
私は興奮しながら今起きたことを他の3人に説明しました。
ですが気のせいじゃないかと言われ信じてもらえません。
そんな話をしていると、4人の前で再びカーテンがふわりと浮きました。

あっ!!
4人が同時に声をあげました。
風もないし、誰も触れていないのにカーテンが揺れていたのですから当然の反応です。
しかもふわりとカーテンが浮くだけでなく、窓側から何かに押されるようにカーテンがふくらみ始めたんです。
カーテンが自然にこんな風に動くはずがない。
カーテンの向こうには一体何があるんだ?
私たちがそんな疑問を抱え唖然としていると、Bさんが不意につぶやきました。
「開けてみるか?」
まだ酔いが残っていてその影響もあったのかもしれませんが、私たちもカーテンが自然に動くところを写真に撮れたら面白そうだと思っていました。
ましてや幽霊なんかが撮れたらすごいと、私たちはその話で興奮しました。
段取りはBさんとCさんがカーテンの両脇に待機し、ふくらみ始めたら一気にカーテンを引き、そこを私がカメラで撮るという感じです。
運良くじゃんけんに勝ったDさんは何もせずに待機とのことでした。

数十分経ったころカーテンがふくらみ始めました。
そしてBさんとCさんは一気にカーテンを引いたんです。

へこんだ足

これは私が大学3年生の時の話です。
大学の講義が終わった後、友達の家で焼肉会をすることになりました。
6人ほどに声をかけて集まったのは3人。
焼肉会の会場提供者である愛子、お気に入りのフィギュアをいつも持ち歩いているオタクの芽衣、そして私です。
電車の中、愛子の家の最寄りの駅に近づいてくると「あれが私の家だよ」と彼女があるマンションを指差しました。
そのマンションは、他のどの建物よりも目立つ、大きなオレンジ色のマンションでした。
私はその建物に近づけば近づくほど、お洒落で高そうなマンションに見えていました。

駅に着いた私たちは、駅構内にあるスーパーでお肉の買い出しをしていました。
買い出しが終わり駅を出ると、私は目の前にある建物を指差してこう言いました。
「あ!愛子の家ってここだよね!?」
私がそう言っても何の返事もありませんでした。
おかしいなと思い愛子のほうに顔を向けると、彼女は何を言ってるの?と不思議そうな顔をしていました。
それもそのはずです。
私が指差していたのは、小洒落たオレンジ色のマンションではなく、古ぼけた白い団地です。
何でこんな場所を指さしたのか自分でも訳がわからず、とりあえずおかしな空気を誤魔化しました。
すると愛子はボソッとつぶやいたのです。
「そういえばここって何人も飛び降り自殺してる団地なんだよね・・・」
今思い返せば、恐怖はここから始まったのかもしれません。

そこから少し歩いて私たちは、焼肉会場である愛子のマンションに到着しました。
愛子が焼肉の準備をしてくれている間、私と芽衣はテレビを見ながら待つことにしました。
やがて準備が終わり、私たち3人がリビングのテーブルでホットプレートを温めていたその時でした。
急に玄関から扉がバタンと閉まる音が聞こえてきました。
「お母さんが帰ってきたのかな?」と愛子がいうので、私と芽衣はリビングのドアの方を向きました。
愛子の母親に挨拶をしようと思ったからです。
しばらくするとリビングのドアノブがガチャリと下に降り、ドアが開きました。
ですがそれだけでした。
ドアの向こうには誰もいなかったんです。
そのまま「ギャーーーー」と悲鳴をあげながら、私たちは奥にある愛子の部屋に駆け込みました。
しばらく震えながら聞き耳を立てていましたが、人が入ってくる気配などはなかったので、私たちは3人で玄関を確認をしに行くことになりました。
玄関もシンと静まり返っており、ドアには鍵がかかっているし、やはり誰かが帰って来ている様子はありません。
私たちは、気のせいだったと自分たちに言い聞かせ、せっかくの集まりだから気にしないようにしよう!と焼肉を楽しむことにしました。
その後も部屋でラップ音がしたり、誰もいないはずの部屋から物音がしたりとおかしな現象が続きました。

その後夜も遅くなってきたので、片付けを済ませて焼肉会は終了しました。
夜も遅かったので愛子が駅まで見送ってくれることになり、私たちは愛子のマンションを出ました。
エレベーターがなかったのかは覚えていませんが、マンションの階段を降りている時に背後に嫌な気配を感じたんです。

愛子、芽衣、私の順で降りていたので、背後に誰もいるわけはありません。
薄気味悪い気配を感じながら、地面まで残り5段のその瞬間はやってきました。
一瞬何が起きたのかわからなかったのですが、両足を何者かに掴まれた感覚があり足が前に出ず、私は階段を頭から落ちてしまったんです。
頭や体よりも足首の方が痛くて膝立ちをしているところに、
「え!?落ちちゃったの?大丈夫だった?」
と言って心配して近づいてきた二人は、私を見て大きな悲鳴をあげて、私のある部分を指差しました。
その指先の先を辿ると、先ほどから傷んでいる私の足首だということがわかったんです。
そのまま私は自分の足首を見てみると、私は声も出ないほど呆然としてしまいました。

午前2時の死神

家系なのか血筋なのかはわかりませんが、私の家族には代々霊感が少なからずあります。
それをご理解いただいた上でお読みください。

あれは私が高校生の頃のことです。
今はスーツに身を包んでサラリーマンの格好をしていますが、当時は結構やんちゃなことをしていました。
恥ずかしながら毎晩夜遊びや改造バイクを乗り回し、何度か警察にもお世話になったこともあります。
そんなイケイケで怖いもの無しだった頃の私は、当時の仲間達に誘われ、度胸試しで心霊スポットに行こうという話になりました。

心霊スポットに着いたのは夜中の1時頃、みんなは怖がっている様子でしたが私には全然怖さはありませんでした。
というのも、冒頭で説明したように私の家系は霊感が強く、守護霊がついているということを聞いていたからです。
とりわけ家族の中でも私に憑いている守護霊は特に強いと聞いていたのもあり、それも合わさり怖さは全くありませんでした。

そのスポットを一通り歩き回りましたが、特に何かあったりはしませんでした。
あまりにも何も起こらなかったので他の心霊スポットも何件か回ったのですが、それでも何もありませんでした。
その日は仲間たちとは解散して、何事もなく次の日の朝を迎えました。
いつも通り高校に行き、昨日の仲間たちと心霊スポットの話をして何事もなく家に帰りました。
しかしその時の私は、これが嵐の前の静けさだったということには全く気付いてはいなかったのです・・・

事件は、心霊スポット巡りをした次の日の夜に起こりました。
その日の夜もいつも通り、二段ベッドで弟が上、私が下という形で寝ていました。
夜中の2時頃を過ぎた頃でしょうか・・・
突然耳鳴りがして、キーーーーーーーンという音が鳴ったかと思うと、体が一切動かなくなってしまいました。
体は動かないけど目は動く、普通の人であれば恐れ足掻いているでしょうが、この時の私も何も恐れてはいませんでした。
「金縛りか・・・、前にもあったような気がするし、科学的にも証明されてるしなぁ」
などと考えながら、特にもがくこともせず、その場で仰向けで寝ていました。

ですがしばらくして、何か様子がおかしいことに気付きました。
いつまで待っても金縛りは解けず、部屋の温度が一気に下がっていくのを感じました。
ただ寒いという感じではなく、ゾワっとするような感じの寒さです。
さすがの私も、本能的に「あ、今までにないくらいヤバイやつだ」と感じたのを覚えています。
ヤバイと感じた最中、部屋のドアのあたりから何者かが現れました。

マネキン

うちは田舎だから、シーズンになるとよく裏山にキノコを取りに行く。
小学生の頃はよく採れる場所をじいちゃんに教えてもらいながら2人で行ってたけど、中学生になると1人で行ったり友達と行ったりしてた。
その日は日曜日だったから、友達と2人で山に入ったんだ。
順調にいろいろ採ってそろそろ帰ろうかとしていた時、友達がいきなり叫んでその場にへたりこんだ。
その時は、木の枝で足を切ることがよくあるからそれかと思ったけど友達は上を見ている。
だからも俺もつられて上を見た。

そこには首吊り死体、それも2体。
本当に驚いた時は声も出せない。
俺は後ずさって何も出来ないままパニックになっていたが、しばらく見ていると、死体はホンモノではなくマネキンだと気づいた。
イタズラにしてはタチが悪いだろ!と毒づきながら友達と下山して、うちで親父に説明し、脚立と手斧、枝切りハサミを持って3人でマネキンを片付けに行った。
親父が脚立に上り、俺と友達は脚立を支えた。
親父は手際良くマネキンの首のロープを切って下に落とし、こんなものはさっさと捨てようと、3人でうちの納屋に運んだんだ。
でも、そのままだとまた誤解を受けるだろうからって、なるべく人型ってことが分からないようにバラバラに砕いてから捨てることになり、マネキンが着てた粗末な服を剥いだ。
そうしたらマネキンの腹に、赤ペンキで大きくこんなのが書いてあった。

ビデオメッセージ

会社の同僚が亡くなった。
フリークライミングが趣味という加藤という奴で、俺とすごく仲がよく家族ぐるみでの付き合いがあった。
加藤のフリークライミングへの入れ込み方は本格的で、休みがあればあっちの山こっちの崖へと常に出かけていた。
亡くなる半年くらい前だったか、急に加藤が俺に頼みがあると言って話してきた。
「なあ、俺がもし死んだときのためにビデオを撮っておいてほしいんだ」
趣味が趣味だけにいつ命を落とすかもしれないので、あらかじめビデオメッセージを撮っておいて、万が一の際にはそれを家族に見せてほしいということだった。
俺はそんなに危険なら家族もいるんだから辞めろと言ったが、クライミングをやめることだけは絶対に考えられないとそいつはきっぱり言った。
いかにも加藤らしいなと思った俺は撮影を引き受けた。
加藤の家で撮影したらバレるので、俺の部屋で撮ることになった。
白い壁をバックに、ソファーに座った加藤が喋り始める。

「えー、このビデオを見てるということは、僕は死んでしまったということになります。
○○(奥さんの名前)、××(娘の名前)、 今まで本当にありがとう。
僕の勝手な趣味で、みんなに迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っています。
僕を育ててくれたお父さん、お母さん、それに友人のみんな、僕が死んで悲しんでるかもしれませんが、どうか悲しまないでください。
僕は天国で楽しくやっています。
皆さんと会えないことは残念ですが、天国から見守っています。
(娘の名前)、お父さんはずっとお空の上から見ています。
だから泣かないで笑って見送ってください。
ではさようなら」
もちろんこれを撮ったとき加藤は生きていたわけだが、それから半年後本当に死んでしまった。

クライミング中の滑落による事故死で、クライミング仲間によると、通常もし落ちた場合でも大丈夫なように下には安全マットを敷いて登るのだが、このときはその落下予想地点から大きく外れて落下したために事故を防ぎきれなかったのだそうだ。
通夜、告別式ともに悲壮なものだった。
泣き叫ぶ加藤の奥さんと娘。
俺も信じられない思いだった、まさかあの加藤が・・・

一週間が過ぎたときに、俺は例のビデオを加藤の家族に見せることにした。
さすがに落ち着きを取り戻していた加藤の家族は、俺がメッセージビデオがあるといったら是非見せて欲しいと言って来たので、ちょうど初七日の法要があるときに親族の前で見せることになった。
俺がDVDを取り出した時点で、すでに泣き始める親族。
「これも供養になりますから、是非見てあげてください」とDVDをセットし再生した。
ヴヴヴヴヴヴヴウヴ・・・・・・・・・・・・・
という音とともに、真っ暗な画面が10秒ほど続く。
あれ?撮影に失敗していたのか?と思った瞬間、真っ暗な中に突然加藤の姿が浮かび上がり喋り始めた。
あれ、俺の部屋で撮ったはずなんだが、こんなに暗かったか?

親友の告白

高校の卒業式に俺(男)は、同級生で親友だったA男(男)に告白された。
俺はショックで混乱しつつも、A男を傷つけないよう丁寧にお断りした。
しかしA男から「1度だけデートして欲しい」と懇願され、情もあって承諾することにした。
で、実際デートしたんだけど(というか二人きりで映画を見て食事をしただけ)、別れ際に「俺が女だったら、お前は俺とつき合ってくれたか?」と聞かれた。
俺は県外に進学する予定だったし、恐らくもう会うことはないだろうという思いと、二人で楽しく過ごした学校生活を思い出したこともあり、急に寂しくなり「お前が女だったら、つき合うどころか結婚してたかも」と答えた。
A男はそれを聞いて泣きながら、「ありがとう、ごめんな、さようなら」と言って去り、俺も涙が止まらずA男の背中が小さくなって消えるまで見送った。

それから数年後、俺はバイト先で知り合ったB子という女の子に告白され、つき合うことになった。
B子はことあるごとに、「ああ、女に生まれてよかった」と言うクセがある子だった。

ある日、B子がやたら上記の台詞を繰り返すので、いつもは聞き流す俺も「なんで?」と聞いてみた。
するとB子は、「だって私が男だったら、あなたは私とつき合わなかったでしょ」と答えた。
その時、俺の頭に浮かんだのがA男の顔だった。
それまでは滅多に思い出すこともなかったのに、B子のこの言葉が、A男が別れ際に言った言葉とまったく同じ話し方だった。

しかもこの会話があった場所は、A男と別れた場所と同じだった。
その時は偶然だろうと思ったけど、それからB子の行動を注意して見ると、驚くほどA男とそっくりなことに気付いた。
笑い方、食事の仕方、本の読み方とかの仕草、好きな食べ物、好きな音楽や映画などの嗜好物も、まったく一緒だった。
俺は、「A男は性転換と整形をしてB子になり、俺に近付いたのか?」なんてことも思ったが、B子の親にも会っていたし、女子高時代の友人にも会っていたし、第一身長が全然違う。
だからただの偶然だ、似てると思うからそう見えるだけだ、と自分に言い聞かせた。
しかしある日、俺がB子の家でテレビのロードショーを観ていた時、「これ懐かしいね。最初のデートで観たよね」と言ってきた。
俺はぎょっとした。
その映画はA男とのデートで観たもので、B子とは観に行っていないからだ。

人身事故

6月の半ば頃の話。
当時俺はバイクを買ったばかりで、大学が終るとしょっちゅう一人でバイクに乗ってあちこちを走り回っていた。
その日も特にする事がなかったので、次の日休みという事もあり、神奈川方面へ結構な遠出をした。

で、その帰り道、たしか0時過ぎくらいだったと思う。
標識を頼りにあまり車通りの多くない道を世田谷方面に向かって進んでいると、急に前を走っていた車が急ブレーキを踏んで蛇行しガードレールにぶつかった。
目の前で事故を見たのは初めてだったのでかなりビビったが、そうも言ってられないので、ひとまずバイクを路肩に停めて車のほうへ駆け寄った。

車の窓から中を覗き込むと中には女の人がいて、両手でハンドルを持ったまま頭を項垂れてガタガタ震えている。
「え?これヤバくね?」と思い、とりあえず窓越しに「大丈夫ですかー?」と声をかけたのだが、女の人から返事は無い。
パニック気味だった俺は、ここで警察に電話しないととふと気付いて110番をした。
警察を待っている間、俺が何度か「大丈夫ですかー?」と聞いていると、女の人はやっと車から降りてきた。
見た感じ怪我は無さそうだが、顔色は真っ青で何かぶつぶつと呟いている。
少し呟きが気になったので、「どうしたんですか?」と口元に耳を近付けると、震えた声でとんでもない事を呟いていた。

見守っている

詩織は、メイドカフェ激戦地区において比較的レベルの高いメイドカフェで働いていた。
明るい性格に容姿が良いことも手伝って、半年ほどで詩織は人気ナンバーワンのメイドになった。
ただ、最近気がかりなことがある。
それは先月ごろから店に通い始めた「ぴくしー」という名前の客のことだった。

「今日も来るかなあ、ぴくしーさん」
「やだなあ…」

憂鬱な顔をする詩織をからかうように、先輩メイドの美月がぴくしーの真似をして眼鏡を上げるふりをする。
ぴくしーはいつもヒビの入った眼鏡をかけていて、汗でずり落ちる度に素早く上げるのだ。
彼は店に来たその日から詩織のファンになり、詩織のブログにも一日に何度も書き込みをしている。
そして、毎日仕事の昼休みを利用して店にやって来るのだ。
プロの人形師であるということ以外には何をしているのか不明だが、常に手製の「しおりちゃん人形」をテーブルに置いている。

「お帰りなさいませ! ご主人さま」
「おかえりなさいませ~!」

今日はもう一人、リリーというメイドが来るはずだったが、来られなくなったため二人で切り盛りしなければならない。
出来ればあまり混まないでほしいと願う二人の思いとは裏腹に、開店と同時に「ご主人様」たちの席取り合戦が始まった。
この店ではランチタイムに限り、三回のミニステージがあるため、ステージにより近い席に座れなければ敗者なのである。

「ご主人さま! ちゃんと並んでくださ~いっ!」
「お前ら! しおりたんが並べって言ってるんだから、ちゃんと並べ!」
「ルールは守れよ!」

ルールをきっちり守る派と一部の過激派で、開店時は大抵こうなってしまう。
美月はそんな状態を内心では面白がっているので、あまり真剣に注意せず誘導等は詩織に任せている。
ようやく落ち着いたところで、一回目のステージが始まろうとしていた。
そのとき、いつもより早くぴくしーがやって来たのだ。

「お帰りなさいませ! ご主人さまっ」

詩織はぴくしーを一番後ろの席に案内した。
そこしか空いていなかったのだ。

「しおりちゃん、今日も…その…、かわいいね…」
「ありがとうございますっ」

そのやり取りに、他のテーブルからの陰湿な冷笑が響く。
ぴくしーはバツが悪そうに眼鏡をくいっと上げた。

「楽しんでいってくださいね…、ぴくしーさん」
「…し、しおりちゃん…!」

この店において、客が「ご主人さま」ではなく名前で呼ばれるのは非常に名誉なことなのである。
ぴくしーはもう泣いてしまいそうになっている。
どのグループにも属さないぴくしーは、イベントの際にも肩身が狭そうで、先ほどのような冷笑も今に始まったことではないのだ。
そんな彼のことを、詩織は口でこそ「うざい」とこぼしながらも、内心は気にかけていた。
ブログでも、あえて彼に対してだけ一番にコメントを返したり、日記の中に彼の名前を登場させたりと、詩織なりの優遇をしていたのだ。
そういった詩織の態度が、逆にぴくしーの立場を危ういものにしているということに彼女自身は少しも気付いていなかった。

「ねえ、詩織…。ぴくしーさんのことなんだけど、ちょっと特別扱いし過ぎじゃない?」

閉店後、美月は心配そうな口調でそう言った。

「ええ~? 私、特別扱いなんてしてるつもり…ないんだけどなぁ…」
「詩織は天然だから気付かないだけかもしれないけど、詩織のファンって結構過激派が多いじゃん?まさか詩織に何かしてくるとは思わないけどさ…、ぴくしーさんが危ないんじゃないかなって」
「そんな…」

思いも寄らない忠告を受けてしまった。
美月の言うとおり、もう少し気を付けた方がいいのだろうか。
詩織はアパートに帰ると、シャワーを浴びながらぴくしーについて色々と思いを巡らせていた。
そのとき、ドンドンドンドン! と、ドアを叩く音が響いて我に返った。
バスルームは玄関の隣なので、まるでバスルームのドアを叩かれているような錯覚に陥り、詩織は小さく悲鳴を上げてしまった。

「びっくりした…。誰だろ…こんな時間に…すごい勢いで……」

身体にバスタオルを巻いてドアの覗き窓から外の様子をうかがうと、そこには見覚えのある顔があった。

祖母の日記

私は大変なおばあちゃんっ子で、中学になってもよく祖母の家に遊びに行っていました。
父方の祖母なのですが、父親は私が幼いころに不慮の事故で死去していました。
祖父を早くに亡くした祖母は、唯一の血縁者だと言って私をとても可愛がってくれました。
しかし母親はあまり祖母と仲が良くなかったのか、一度も一緒に祖母の家に入ることはありませんでした。

私は毎週日曜日の午前中に、祖母と神社にお参りに行くのを日課としていました。
大変信心深い人だったので、雨の日でも必ず行き、父が他界して間もないころから欠かすことはありませんでした。
祖母とつないだ手はとても温かく、私はお参りが大好きでした。

祖母はいつも手を合わして、深々と礼をし、ずいぶん長い間目を閉じてお祈りをしていました。
私はいつも単純なお祈りだけをし、祖母の真剣な横顔を眺めていました。
終わってからいつも「何をお祈りしてたの?」と聞くのですが、祖母はニッコリ笑うだけで一度も答えてくれませんでした。
私は気にすることなく、毎回帰りに買ってもらうアイスを楽しみにして、祖母とおしゃべりをしながら帰りました。

話は急に変わってしまうのですが、私は幼いころから霊感が強く、いつも霊障に悩まされていました。
金縛りは毎日で眠れない日々が続き、不眠症でした。
寝ていても足を触られたり、お腹を針のようなもので刺されたりと、年々エスカレートしていきました。
母と霊能力者のところにも何度か訪れたのですが、高いお金を請求され、しかも何をやっても効かないのでもう私もあきらめていました。

中学3年になるころには、さらに霊障はひどくなり、交通事故も何度も経験し、毎晩繰り返される金縛りや霊によってみせられる幻覚のようなもので精神を病み、不登校になりました。
祖母は母が仕事に出ている時間、うちに来てくれていつも手を握っていてくれました。
祖母といる時間が私にとって唯一安らげる時間でした。
母親は仕事で帰りが遅く、あまり口をきく時間がありませんでした。
毎日の嘔吐、拒食症になったと思ったら過食症になり、常に体調も精神も不安定で、自殺未遂も何度か起こしました。
その度に失敗し、生きるのも辛い、しかし死ねないという最悪の状態が続きました。
祖母とのお参りにも行けなくなりました。

そして中学を卒業してすぐのころ、唯一の支えだった祖母が他界しました。

私は大泣きしました。
しばらく祖母の使っていた部屋に引きこもり、祖母が使っていた洋服などを抱きしめながら泣く日々が続きました。
そんな時でも母親は平然とした顔で仕事に行っていて、それで食べさせてもらってはいるものの、少し母に対して怒りも芽生えました。
祖母が他界してから2週間ほどたったころ、だんだん私の周りで霊障が起こらなくなってきたことに気が付きました。
私の4人だけいた友だちの一人が、「○○(私の名前)の痛みをおばあちゃんが全部天国へ持って行ってくれたんだよ」と、電話で言ってくれました。
そのときも私は、電話口で大泣きしました。
一年後には霊障が全く無くなり、精神も体調も回復した私は、通信制の高校にも行けるようになり、バイト仲間たちに支えられて楽しい日々を送っていました。

ある日、祖母の家が引き払われることになったので、私は荷物の整理に行きました。
もう気持ちも落ち着いていて、毎日墓参りに行っていました。
押し入れの中を整理していると、祖母の古い日記が何冊か風呂敷にくるまれて出てきました。

その日記は毎週日曜日に付けられていました。
私は日記を読んで唖然としました。
まず初めのページは父が死んだ日でした。
不慮の事故と聞かされていましたが、実は自殺だったということが書かれていました。
原因は母の浮気だったそうです。
ショックで涙が出ました。

しかし次のページを捲った時に、一瞬で全身が冷たくなりました。

カーナビ

転職の為、実家を離れ一人暮らしを始めた頃の話。
自家用車は持っていたが、僕は地図を読むのが苦手な上に馴染みのない土地に引っ越してきたということもあり、これを機会にカーナビを買おうと思いたった。
「使えればいいや」ぐらいの感覚だったので、近所のカーショップで中古を探すことにした。
割と新しめのものが安く売られていたので、ラッキーくらいの気持ちで深く考えずに購入した。
取り付けてからしばらくは問題も無く作動していたし、中古だからといって何の不具合も無かった。
でも、ある日の休日。
最近出来たという大型ショッピングモールへ行った時のこと。
買い物をして映画を見てレストランで食事をし、帰路についたのは22時くらいだったと思う。
目的地を自宅にセットし◯◯道を走っていると・・・
「300メートル、先、右折、デス」
おや?と思った。
来た時もこの大きめの道沿いを走ってきたし、こんなところで曲がった記憶は無い。
でも目的地は自宅を差している。
渋滞情報に合わせて裏道を案内しているのかとも思い、少々不信に思ったが指示通りに走行することにした。
しかし、どんどんと住宅街のほうを指示しているし、わざわざ迂回しているようにしか思えない。
だんだん交通量も少なくなり、対向車とすれ違う回数も減って来る。
その時、出し抜けにカーナビが・・・
「目的地、マデ、600メートル、デス」
えっ!!と思った。
まだ自宅にはほど遠い、見当違いのところだ。
でも、目的地は自宅を指している。
「カーナビのミスかな...」と思った。
「目的地、マデ、300メートル、デス」
「目的地、マデ、100メートル、デス」

立ち入り禁止

少し前の話です。
私の家は、もともと山を切り崩した土地の住宅街で一戸建ての家々が建ち並ぶ中にありますが、すこし団地を外れると途端に人気のない田んぼや、砂利道が現れるような場所にあります。
いつものように仕事を終え、電車を乗り継ぎ、最後の電車である田舎道をゆく○○電鉄に乗りました。
休日出勤で、終電間際の時間帯ということもあり人はほとんどおらず、電車の心地よい揺れに、ついうとうとしてはっと気がつくと降りるはず駅を通り越して終点の一つ手前の駅に着いてしまっており、仕方なくいったんその駅で降りました。
私以外に二人、スーツ姿の女性が一緒に降りて改札に向かいました。
真夜中で人気のない無人駅なので、ほかに降りる人を見てなぜかほっとしました。
ひとりの女性は駅のロータリーにすでに迎えの車が来ていた様子で、もう一人の女性は歩きながら携帯で何やら話し込んでいました。
すぐに前の駅に引き返そうかとも考えたのですが、この駅からでも団地と団地の間にある山道を抜ければ、少し距離はありますが家には辿り着けるのでその抜け道に向かいました。
その抜け道は以前にも何度か使っており、一応フェンスがあるのですが人が通れるほどに切り裂かれ、電灯がない空地に囲まれた坂道をほんの2分ほど歩けばすぐに目の前に民家が現れます。
夜は暗くて少し怖いですが、歩きなれた道なので気にせずに向かいました。
団地を抜けてフェンスが目に入ったとき、いつもと違う感じがありました。
近づいてみると、以前穴のあったフェンス部分に、工事現場に置かれるような黄色い「立ち入り禁止」の柵が貼り付けられていたのです。
高さは私の背ぐらいで、その気になればよじ登れる気がしたのでしばらくどうしようか立ち止まって考えていました。
その時、柵の向こうで何かカラカラというような金属音が聞こえたのです。
風に柵が揺れたのかな?とおもい目を凝らすと、何とも言えない、妙な悪寒が背中に走りました。

お持ち帰り

私が大型ショッピングモールで清掃のパートをしてた時の話
当時、その施設はオープンから一年ほど経ってはいたものの、建物も設備もまだまだ綺麗で田舎の割に繁盛していた
しかしそこに勤める従業員の間で不穏な噂が流れ出したのだ
それは二階のトイレに女の幽霊が出るというものだった
話としてはありがちだが、記述の通り建物もまだ新しく、元々はただの田畑で曰く付きの土地でもない
私が初めてその噂を耳にした時は学校の怪談とか都市伝説くらいの感覚だった
しかしその噂が出るのと時を同じくして従業員の怪我や病気が増えていった
とはいえ何百人もの人が働いていれば多少の偶然はあるだろう
だか不思議な事に、怪我や病気になった従業員の大半は二階フロアで働く人ばかりだった

アパートの隣室

当時、私は高校を卒業し、専門学校に通う為に家賃12,000円の安アパートを借りた。
六畳一間で風呂無し、共同トイレの薄汚い○○荘という名の2階建アパート。
玄関を開けると共同の下駄箱があり、1階で大家さんが管理してる様なアパートだ。
個室の下宿みたいな感じ。
よく覚えてはいないが全部で10部屋位あったと思う。
俺の部屋は2階の一番奥で、突き当たりトイレの脇だった。
近くに彼女のアパートが有ったので何でもよかった。
だから風呂無しでも安いこのアパートを借りた。
そんな訳でここには週に3日位しか居なかった。

住み始めて半年が過ぎ、とても寒くなってきた頃である。
隣の部屋から夜中の1時位になると「チィ〜ン」と音が聞こえる。
数珠を摺り合わせる様な音も聞こえるから、隣の住人が仏壇でも拝んでるんだろうと始めは思っていた。
でも何でこんな夜中に?
普通は朝とかに拝むんじゃないのかなぁーと感じたが別に気にはしなかった。

ところが、その日からアパートで寝る度にいつも同じ時間帯に同じ様な音が聞こえる。
彼女や友達も聞いてるので、幻聴とかではなく確かに聞こえていた。
壁にコップをあてて、不定期なリズムの数珠の音も皆で確認し気味悪がった。
大きな音ではなく耳を澄まさなければ聞こえない程の音・・・
彼女に「隣にはどんな人が住んでるの?」と聞かれたが、会った事はなかった。
ほぼ夜の時間帯しかアパートにいないのでどんな人達が住んでるか判らないが 、トイレを利用する音は聞こえて来るので2階にも人が住んで居るのは確かだった。

年末になり、私は正月を実家で迎えるため、大家さんに家賃を払いにいった。
大家さんはメガネを掛けたおばあちゃんである。
「今、餅を焼いてるから食べてけ!」と言われ部屋にお邪魔した。
いい機会だと思ったので、大家さんに隣の住人はどんな人ですかと聞いてみた。
大家さんはキョトンとして、「隣は空きだよ?」と言う。

去年の夏、ご飯が出来たからって母親に呼ばれて下に行こうとしたら、寝室のほうからなんか光りが漏れていたんだ。
チカチカしてたから誰かテレビでも観てるのかなと思って寝室に行った。
そこでその日は弟と俺と母親の3人しか家にいない事を思い出したんだ。
だから多分弟だと思って気軽にドアを開けた。
そしたら案の定、真っ暗な寝室で弟がテレビを見てた。
なんかどっかのバラエティ番組だった気がする。
「何でそんな暗い場所で見てんだ?」って聞いても返事がない。
俺は部屋の電気をつけてやった。
集中してんのかなと思ってそのときは、「飯が出来たってよ。早く降りて来いよ。」って言ってドアを閉めた。
そしたら、驚くくらい近くで「うん。」って聞こえたんだ。
多分耳元くらい、驚いて振り返っても誰もいなかった。
引き戸タイプのドアと、その横に鏡があるだけだった。
俺は急に怖くなって階段の電気をつけたがもちろん誰もいない。
そしたら突然携帯が鳴った。
めちゃくちゃビビってた俺は、飛びのいて頭を壁にぶつけたんだけどその話はいい。
液晶を見たら友達の名前で、それを見たとたんかなりほっとした。
これ以上なんかあったらショックで漏れそうになってたくらい。
それから10分位友達と話して電話を切ると、なんかおかしい事に気がついた。
全然弟が部屋から出てくる気配がない。
そんなに面白い番組だったかな?と思い返してみてもう一つ変化に気がついた。
さっきまでやっていたバラエティ番組の音、それが異様な音に変化してた。
でもその音は聞き覚えがあった。

消えた母

息子が高校に入学してすぐ、母がいなくなった。
「母さんはな、父さんとお前を捨てたんだ」
父が言うには、母には数年前から外に恋人がいたそうだ。
落ち込んでいる父の姿を見て、息子は父を支えながら二人で生きていこうと思ったのだった。

しかし、母がいなくなってから家でおかしなことが起きるようになった。

塀の向こう側

これは私が十数年前、とある町に住んでいた頃の出来事です。
当時新聞配達のバイトをしていたのですが、一軒だけとても妙なお客さんがいました。
通常の配達順路を大きく外れているうえに、鬱蒼とした森の中の長い坂道の突き当たりにある、三方を塀に囲まれた家でした。
しかもそこの配達時間は午前3時くらいでしたので、いつも暗く不気味な雰囲気が漂っていました。

8月のある日、いつものように嫌だなぁと思いながらその家へ配達に行くと、小さな男の子が塀の上に乗って遊んでいます。
こんな時間になぜ…?と思いましたが、塀の高さは1メートル程でしたし、家の窓からは明かりが漏れていました。
だから私は、夏休みだしどこか出掛けるんだろう、親御さんの出掛ける準備がまだできず外で遊びながら待ってるのかな。
早い時間に家族で出掛けるのは、私も小さい時わくわくしたっけ、懐かしいなぁ。
などと気楽に考えていました。
男の子は幼稚園年長さんくらいで、塀の上に立っては向こう側に飛び降り、また上って来る、というのを淡々と繰り返していました。
その日はそれで何事も無く配達し終えました。

しかし次の日、そのまた次の日も、その男の子は塀の上に立っては向こう側へ飛び降りる遊びをずっとしているのです。
4日目になると流石に、「ねえ、こんな時間に何してるのかな? 危ないよ? お父さん、お母さんは?」
と、塀に立った男の子に声を掛けてみました。
すると男の子は、無言でいつものように向こう側へ飛び降りました。
「あっ!!!」
男の子が飛び降りた塀の向こう側を見て、私は声をあげました。

招かれざる客

大学に通うために一人暮らしを始めてしばらく経った。
学校にも慣れてきたし、気の合う友人も出来てそれなりに楽しい毎日を送っていた。

けれど、最近なんだか俺の身の周りで不審な出来事が起きている。

大学から自宅のワンルームに帰ってくると、閉めたはずのカーテンが微妙に開いていたり、ゴミ箱の位置とか、そういう小さなことが微妙に変わっている気がする。

しかも、時々誰かに後をつけられているような視線も感じることもあった。

なんだか気味が悪く思い、ある日大学の友人に相談してみることにした。
「なぁどう思う? もしかしてストーカーとかかな? 警察に通報するにしても実際に被害がないと動いてくれないとか聞くしなぁ」
と俺が相談すると、
「じゃあさ、大学に行ってる間に部屋をビデオカメラで撮影しておいて、もしそこに誰かが侵入したりする様子が写っていれば、その証拠を持って警察に行こう」と友人は言った。
いいアイデアだと思った。
早速次の日の朝、部屋にビデオカメラを設置して、録画状態のまま大学へ行った。

学校から帰ってくると、部屋に違和感を感じた。
やはり所々に物を動かしたような形跡がある。
ビデオカメラは録画状態のままだった。
ゾッとしたが、これでやっと証拠がつかめると少し期待している自分がいた。
ビデオカメラの録画を停止して、早速再生してみることにした。

チャット仲間

最近の俺はというとチャットにハマっている。
少し前にネットで仲良くなった二人の女の子がいて、いつも三人で毎晩のようにチャットで盛り上がっていた。

一人はカンナという子でノリがすごくいい。
カンナは笑いのセンスも抜群で、自虐ネタなどではいつも爆笑させてもらっている。
もう一人はマイといって、大人しめのしっかりとした感じの子だった。
みんなそれぞれ性格は違うんだけど、逆にそれがぴったりとハマったようで三人での会話は止まらなかった。

そんなある日、とある事情でカンナの家に一人で泊まりがけで遊びに行くことになった。
女の家に泊まりに行く。
それだけ聞けば最高なのだが、俺は全くもって行きたいとは思わなかった…。
なぜかといえば、カンナは重度のメンヘラだったから。
チャットで会話する分には楽しいのだけど、実際に会うとなるととても憂鬱だった。
どうしても行かなければならなかった理由は割愛する。

カンナの家に到着し部屋に入ると、それはそれは異様な空気だった。
部屋は真ピンクで、人形やぬいぐるみがそこら中に散乱していた。
床は、男でもここまでならないだろうというほど散らかっていて、いろいろな所にナイフやらメスやら注射器、処方された飲み薬などが転がっていた。
俺は予想以上の異常さに動揺せざるを得なかった。
しかし急に帰るわけにもいかないので、カンナとは当たり障りのない話をして、近所のスーパーで買ってきた弁当と惣菜でお腹を満たし、適当に寝ることになった。
布団は一つしかなかったため一緒の布団で寝ることを提案されたが、さすがにまずいと思った俺は、物が散乱した床に場所を確保し、適当に雑魚寝することにした。
電気を消し、おやすみと言って俺は瞼を閉じた。

朝方ふと目が覚め、彼女の方を見ると思わぬ光景に目を疑った。

あくまのぬいぐるみ・・・

1993年夏…
僕と妻、そして来年3歳になる娘が一人
私たち家族は中古一戸建てを購入し、都心から少し離れた、とある街に引っ越しをしました。
新居は、築年数がほとんど経っていないにも関わらず格安で、友人には「事故物件なんじゃないの?」などと言われたりもしましたが、特に気になるようなことはありません。
ご近所さんもとてもかんじのいい方で、たまにおすそ分けなんて言って、手料理やお菓子などをいただいたりすることもあります。

新しい環境にも慣れ、しばらくは穏やかな日々が続きました。
しかし、1ヶ月を過ぎた頃から妻の体調が悪くなり、「視線を感じる…」と怯え始めるようになりました。
やはりいわく付きの物件だったのだろうか…?
ある日お隣のおばさんに、ここの土地は家が建つ前はなんだったのですかと尋ねてみると、
「あぁ、ここはうちの畑だったのよ。うちの主人がいなくなってからは手入れもできないし、手放しちゃったんだけどね…」
おばさんは少し寂しそうにそう言いました。
そういえば、お隣はおばさん以外の家族が出入りしているところを見たことがない。
寂しいから色々とうちに世話を焼いてくれているのかもしれない、そう思った。

ある日曜日、相変わらず体調の悪い妻に代わって、娘と遊んでやろうかと庭にでることにしました。
庭には、以前の住人も子持ちだったのか、小さな砂場があります。
そこで砂遊びをさせていると、娘が何か見つけたようなので近づいてみました。
何かが埋まっている様子だったので掘り起こしてみると、砂の中から真新しいクマのぬいぐるみが出てきました。
以前の住人の子供が埋めたものだろうかと手に取ろうとしましたが、妙な違和感を感じ、慌てて手を離しました。
よく見ると胴体の部分が真っ赤な糸で縫い直されていました。